「察するやさしさ」より「たずねる勇気」

書店の「平積み本」を素直に読むようになりました(笑)

先日書店に行ったら、平積みの本の中にあった「インド人は悩まない(インド麦茶 著 / ダイヤモンド社)」という本が、目にとまりました。

以前は「流行りものなんて」と意地を張っていましたが、昨年あたりから「流行りものには素直に手を出してみる」という方針に切り替えた、私おにぎり。読んでみたら、面白かったです。さすが平積み。餅は餅屋。本は書店。

その中で、次のような内容がありました。

悩むくらいならば、さっさと質問や依頼をする。結果的にその返事がネガティブなものであったとしても何食わぬ顔でいることができれば、悩みの殻を破ることができる。この、「要求やわからないことがあったらASKする、という単純な行為を1つでも多く行い、徐々に心を強くする方法」を、「ASKメソッド」と名付けたい。

※引用元:【トラブル発生!】三流は「悩んで止まる」二流は「まず考える」。では一流は?(DIAMOND ONLINE) より(著者自身による執筆の記事

どんな流れでこの話が出てくるか&話の背景は、ぜひ上記記事を読んでみてください。元ネタである本を読めば、なおよく分かります(p89あたりからに書いてあります)。

これを読んで真っ先に思ったのが、今回タイトルにした「察するやさしさ」より「たずねる勇気」でした。

「目の不自由な人に出逢ったら、“あなた” は何に困りますか?」

「目の不自由さの専門家」という立場柄、「視覚障害者への接し方を話してほしい」というお話を時々いただきます。

そんなとき、話は「目の不自由な人に出逢ったら、あなたは何に困りますか?」から始めることにしています。

これに対する反応、多くは次の3つです。

  • どう声をかけていいかわからない。
  • そもそも声をかけていいかわからない。
  • 何かお願いされても、どうしたらいいか分からないので困る(から声をかけられない)。
白杖を持つ女性が横断歩道前に立っている。それを見ている大工西風の男性は、どうしたらいいか、駅までの道を尋ねられたらどうしうようと困惑している。

こういう困りごとが出る背景には「何か決まった正解があって、それが出来なかったらどうしよう・間違ったら失礼だ」という気持ちがあると思うんですよね。あなたはどうですか?

「見えにくい」と言われたら「大きな文字」を書けばいい?

そのあと、次の質問をします。

「何かメモを渡した時、実はその人は目が不自由で、文字が見えにくいと言われました。あなたはどんな風にメモを書き直しますか?」

ちなみに大半の人は「大きな文字を書く」と答えられます。あなたもそうですか?

実は、「見えにくい」の種類や幅はとても広くて、見え方によっては、大きく書かれると、逆に読みにくくなるという方もいます。「見えにくい=大きく書けばよい」は必ずしも正解ではないんです。

男性大学生が、白杖を持ちサングラスをかけている女性に「ABC」と大きく書かれた紙を渡している。女性は穴から覗くような見え方のため、視野にAが全て入り切らず、なんと書いてあるかわからず困惑

ちなみに上の画像の女性は視野がせまく、穴からのぞくような見えにくさを持ってます。男性は「見えにくい=大きくかけばいい」と思っていたため、ABCを大きく書いたものの、大きすぎて女性の視野にAが入り切らず、何と書いてあるか逆にわからなくなってる・・という様子(のつもり 笑)です。

それ以外にも「見えにくい」には色々な見え方があります。

ロービジョン・弱視の人はどんな見え方になるの?(メガネスーパー)

どうしていいか分からないと何も出来ない、かといって良かれと思ってしたことが逆に困らせるかもしれない・・

そこでおすすめしているのが、ちょっと勇気を出して「どうしたらいいですか?」とたずねる、だったのですが、まさに「ASKメソッド」のことです。ちょっとびっくりしました。

読書後、日本って、相手が言わなくても分かってあげるのが良しとされる「察しの文化」なんだなと、改めて感じました。

「多数派な一般的日本人」同士ならそれもいけるでしょうが、マイノリティと言われる方たち・・障害者・希少難病・不登校・LGBTQ・その他色々な方・・の場合、的外れな「察し」可能性は当然高くなります。

「見えにくさ」も、あまりに多様ゆえ、その「察し」が当たってなくて困っている方は多数。でも「察し」てくださる人は良かれと思ってだから、そうじゃなくてとも言えない・・という話は、残念ながらよく聞きます。

勇気を出してたずねれば「目の前の人」が教えてくれる

「察する」ことに慣れていると、そしてそれがやさしさだと思っていると、たずねることには勇気がいりますね。

ですが、全ての人に対して「当たる察し」をするには、全ての経験や知識を持っている必要があります。多様性尊重と言われますが、そんなの無理だし、お互いしんどくなるだけ。察しを前提としていたら、何も出来なくなるか「的外れな察し=良かれと思って」の大量生産です。

そんなときに登場するのが「察するやさしさより、たずねる勇気」

「察し」が当たったときのような「言わなくても分かってあげられ・わかってくれてる」という心地よさはありませんが、勇気を持って「どうしたらいいですか?」「〇〇でいいですか」と尋ねれば、目の前の人も、自分も、大外れしない程度にそこそこ幸せになれます。

横断歩道前で、大学生風の男性が黒いメガネをかけ白杖を持った女性に、怒られるかも、転ばせるかもと心配しながら声をかける様子。女性は笑顔。

世の中の多様性に対応するために必要なのは、やさしさより勇気なのでは、というわけです。

ちなみに上で書いた「メモの文字をどうするか」は、ひとこと「どう書いたら見やすいですか?」ってたずねてみればいい、ということになりますね。

参考までに、インド人の文化では・・

ちなみに「インド人は悩まない」によると、インドでは「文句を言われたらその時考えるとして、ひとまず思ったことをやる」という文化のようで、本の中ではこれを「インドのDO文化」と呼んでいます。これをそのまま日本でやったら、確かに色々トラブルが起こりそうです(笑)

私が言うところの「察し」の文化は「悶々と悩むGUESS文化」と書かれています。その上で著者は、日本ではこの間をとって、たずねる「ASK文化」を勧めていました。

かくいう私も、たずねるのに勇気が必要な日本人。ほんのちょっとだけ、インド風のマインドを、心のスパイスとして振り掛けたいです。

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