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【からだのはなし】その4: 体を切り口に

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目の覚めた状態を構成する4つの要素

【からだのはなし】その1 どうして「からだ」が大事なの?

の中では、わかりやすいかな?と『行動には4つの構成要素がある』としていましたが、正確には「目の覚めた状態を構成する4つの要素」とフェルデンクライス博士は表現しています。

(ちなみにこれは、2種類の「人間の生存状態の区別」の一つで、もう一つは「眠った状態」なのだそうです。)

【からだのはなし】最終回である今回は、この4つの要素に再び戻ってみようと思います。

◎感覚
五感の他に、痛覚、空間定位、時間経過 など

◎感情
喜怒哀楽だけでなく、自尊心、劣等感、その他我々の生を彩る意識的無意識的情動 など

◎思考
知性のあらゆる働き(左右、善悪、正否の対立、理解し、理解していることを知り、物事を分類し、法則を認識し、想像力を働かせ、知覚し感じたことを認識すること、さらにそれ以上の全てを想起すること) など

◎運動
呼吸、飲食、言語行動、血液循環、消化活動などを含め、全身とその各部の状態と形態に生ずる時間空間的変化の全て など

フェルデンクライス博士の書いた本の中から一部抜粋してみました。

確かにひらめき電球という納得感に至るまで、少し時間を要するような言葉が並んでいます。
どいうことかな?と、ぜひじっくり噛み砕いてイメージしてみてくださいね。

個人的には、感情の中の「自尊心」や「劣等感」、思考の中の「左右」などに、「へー(ʘ╻ʘ;)そうなんだ。」っと、初めて読んだ時に思った記憶があります。

皆さんはいかがでしたでしょうか?

4つの要素が互いに影響し合っている

これらの4つの要素について、フェルデンクライス博士は互いに影響を及ぼすことは避けられない、と言っています。

例えば…

緊張した時。
呼吸が速まったり、冷や汗が出たり、心臓がドキドキしたりすることは、誰しも経験したことがあると思います。

慌てる猫のイラスト

 

失敗したらどうしよう
もっとこうした方がいいのかも?
落ち着け、自分!!

なんてぐるぐる思考が巡ったり

それによって不安な気持ちが更に増したりして
心臓ドキドキ、動きもぎこちなくなっちゃうという身体症状が…。

その他にも、
・好きな音楽を聴いて、リラックスする
・体調が悪い時に、ふと後ろ向きな気分になる
・人と話すと自分の思考が整理され、気持ちも落ち着く
・ある匂いを嗅いだ瞬間に、そのときのことが思い出される

などは、要素が互いに影響し合っている例として、「あるある〜目」とイメージしやすいですよね。

運動や感覚は、個別的

例えば同じ食べ物でも、美味しいと思う人がいれば、不味いと思う人もいる。
人の感覚は、千差万別です。

育ってきた環境や文化、過去の経験や学びの積み重ねなどによって、違っているのは当たり前ですよね。
同様に、体をどんな風に動かすのか?どんなやり方が自分にとって快適なのか?も、千差万別です。

例えば…
おいのりをするときのように両手の指を組んだ時、どちらの手の親指が上にくる組み方をしますか?
では、いつもと違う組み方にしてみたらどうでしょう?
ほんのささいな違いですが、いつもと違う組み方をすると、ちょっとした居心地の悪さや不自然さを感じます。

自分にとっては居心地のよくない組み方でも、これがいつもの組み方です、という方は当然いるわけで。
考えてみれば当たり前のことですが、普段は忘れてしまいがちです。

そして何より。自分と人の違いがあることを自分で体験してみることで、より実感を伴って理解することができますよね。

実感を伴って知っていることは、「自分はこうだけど、相手は違うかもしれない」という柔軟さにつながっていくのではないかな?と考えています。

体を切り口に

こうあるべき
こうしなくてはならない
間違えたくない
この場における正解を選んだ方がいいだろう

これらの考え方って、実は大人だけでなく子どもにも深く刷り込まれていることがあります。

でも
これらの考え方に縛られすぎていると、心も体も過剰に適応しようと緊張が増し、自分の体の声は届きにくくなっていきます。

自分の体の声に素直に耳を傾けて、それらを受け入れることは、「今感じているこの感覚が、自分にとっての正解なんだ」「人と違っていても、自分はこれでいいんだ」という自分自身の信頼へつながります。

しみついた考え癖は、なかなか手放せないことも多いですが


自分の体の動きや感覚に目を向ける
「自分と人は違って当たり前」を体験を通して実感する


ことをしてみることで、意外とすんなり手放せることがあります。

フェルデンクライス博士が言っていたように、4つの要素は互いに影響しあっていることを考えると、体を通した運動や感覚からの気づきは、感情や思考にも気づきを与えているということではないかなと思います。

言葉での思考に疲れたとき、縛られているなあと感じたときには、いつもと違う、体を切り口としたアプローチをすることで、新しい何かをつかむことができるかもしれませんよ^ ^

おわりに

最後はなんだか、フェルデンクライス・メソッドを通じて私が学んだことや気づいたことの話になってしまいましたが…

フェルデンクライス・メソッドを学ぶ中で、特に印象深かったのは
感覚を言葉にすると、その瞬間に、言葉にならなかった感覚はこぼれ落ちていく
的な話を聞いたことです。

わかりやすく?言い換えると、感覚ってあくまでも感覚で、言葉に置き換えるとその言葉が表しきれない部分の感覚は言語化されないで忘れ去られ、言葉になった部分だけが残っていく、ということです。

そんな話を聞いて、とっても好奇心を刺激されたことを覚えています。
あえて言葉にしない内なる感覚と、言葉にすることで形になっていくモノ。
まだまだ興味はつきません^ ^

からだのはなし;その1
からだのはなし;その2
からだのはなし;その3

この記事を書いた人
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