ある連休前の金曜日、日曜日につけたカレンダーのマルに向かって、眉間にシワを寄せながらする残業。
マルの下には、推しのライブ名や、少し背伸びした旅行の行き先や、行列必至の店名。
そんな非日常のマルがあるだけで、気が重い早起きや残業に立ち向かう力が湧いてきます。

非日常はごほうびであり、今を生きるための燃料でもあり。
けれど、子育てをしていると、こんな非日常は遠くなりがち。
せっかく予定を入れていても、子どもの発熱とか、急な呼び出しとか。いざ予定を入れてお出かけしようと思っても、ベビーカーで入れない段差とか、授乳室がないとか。
障害を持つ人やその家族にとって、非日常への扉はさらに狭いもの。
大音量の会場で感覚が溢れるかも、段差や狭い通路で入れないかも、長蛇の列がしんどくなるかも、普段見ない人混みに息苦しくなるかも。想定外が1つでもあると、そこで足も気持ちもストップ。楽しみなはずの外出が「耐えるための外出」に変わってしまいます。

日常に多くのエネルギーを要す人ほど、本来は非日常という燃料が必要なのに、燃料を受け取りに行く道がガタガタ・デコボコなところが多いのが現状。
そんな中、できるだけ道を舗装したり、渡れない川に橋をかけよう、という取り組みがあります。
たとえば以前、このブログの執筆陣のひとり「ゆうこ」さんが書かれた記事も、そのひとつ。
参考までに、記事内で出てくるプロジェクトへのリンクも。
そうした方とのコミュニケーションによって作り出される、大小さまざまな創意工夫や準備が、非日常への扉を開けます。
そうして非日常をすごせた子どもと親、障害を持つ方とその家族は、「行けた」「楽しめた」「がんばれた」「できた」という体験を持ち帰ります。そして日常に戻った月曜日の朝を、ちょっと軽くします。
「まず日常を安定させてから」と、医療・福祉ではよく言います。たしかにそれは大切。だからといって、非日常を後回しにしてばかりでは、日常はより息切れしがちに。コロナ禍で多くの人が体験しましたよね。あれです。
そう、「非日常」は「日常」を支えているのです。
非日常を楽しみたい気持ちは、贅沢ではなく、優先順位が低いものでもない、と思うのです。
繰り返しになりますが、日常に多くのエネルギーが必要な人ほど、本来は非日常という燃料が必要です。
上記プロジェクトに関わる中、「今日ここに来るために、この1週間かんばった!」と言ってた、ある参加者の笑顔が忘れられません。
「非日常」は「日常」を支えるんだと、心の底から思った瞬間でした。



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